| そよ風号知りませんか?川越編 |
そよ風号のもとの持ち主は川越で長く暮らしていたという。ならば、そよ風号を川越で買ったかもしれない!
ということになればそよ風号のことを知っている自転車屋さんがいるんではないか?というひらめきだった。
川越は歴史のある街です。埼玉の代表格のさいたま市(大宮、浦和、与野などの合併後の名前)とはかなり違う。
つまり戦後もさることながら、江戸時代、明治、大正と栄えてきた。この辺は九州の門司、玖珠、そして北海道の
小樽なんかと似ている。西洋化を目指した官と大企業、そしてその中で伝統をまもって生きてきた市民達。
川越の街は古い建築群がそれを無言で語りかけてくる。 そのくらいに個性豊かだ。

今日、同行願ったのは近所の美容院を営む「HEAVEN」さんだ。
僕が平日にやすみがとれたので今日のサイクリング紀行となったのだ。
僕らの住む街は川越から二駅ばかり都内よりのところにある。
自転車でしばらく漕ぎ出せば、しばらくして農村風景のなかとなる。
なんだか天気も良くて嬉しくなる気分だ。
そう、田舎に遠足に出かけた子供のような気分だ。

しばらくいくと畑のなかにおおきな温室が並んでいた。なかを覗くと
なにやら広い棚のうえに野菜がびっしりと育っていた。まったく工場だ。
野菜工場だ。野菜は高くあがった棚に作られて温度も水も管理された生産現場の
ようだった。温室育ちとはよく言ったものだ。そのぶん清潔ではありそうだが。
もちろん堆肥の臭う畑とは無縁な風景である。

川越乃街にはいるとすぐにこんな建物が見えてきた。なつかしの板塀である。
もう今は消防の関係で許可にはならないだろうとのこと。
森甚精麦店(精米ではない)

喜多院到着

喜多院というのはお寺なんだけれどちょっと違うのだ。
徳川の庇護を受けていたこの寺はあるとき火事で寺がもえてしまったのだ。時の将軍家光が尊敬するお坊さんが
この寺にはいたので、江戸城にあった書院作りのこの建物を寄進しましょうということになった。
一年がかりで江戸城から解体してここまで運んで建てたというのだ。ご苦労さまなこった。
家光はこの建物で生まれている。つまり徳川家のプライベートな住居というわけだ。
寺のもつ権威臭いところばかりではなく、裏の庭などは400年前の武家の住まいそのものという感じ・・・らしい。
年に一回か、喜多院の宝物を公開してくれる。寺の宝物と言うよりは徳川家の宝物そのもので、これは一見の価値がある。
川越の城下町は戦国時代のごつさはない。川越城も残っているが明治の時に大きく縮小されてしまい驚かすようなものはない。
城というより役所という感じかな。

それでは川越の街の中にいきましょう。

星野さんという家なのだが、星野とはここらの有力者の一族なのだ。やたら似合うね「そよ風号」
家をでて一時間以上経った。暑さもあって咽喉が渇いた。
餅菓子や「小松屋さん」でいっぷくだ。


「おばちゃん川越弁だねえ」
「そうだよ、生粋の川越っ子だからね」
団子と柏餅を買いました。店の脇でお茶を頂いてちょいと休憩です。
さすがに茶どころ狭山が近いだけあってか新茶は上手かった。
柏餅もつくりたてだからとってもおいしい。だいいちケーキやと違ってやすいよね。

ご主人が出てきたので昔から自転車を扱っている店はないかと尋ねる。
この質問が今回の川越紀行の目的だから。
「な、なんていう名前だって?古そうなじてんしゃだねえ」
「そこの角を右に曲がって,生協のところを左に昔からの自転車屋があるよ。もう、オレ一代でおわりだあ
っていってるよ。戦前からの店もあるけどねえ、息子の代になってらわからないだろうよ」
親切に自転車ばなしに付き合ってくれた店のご主人。
店のおばちゃんと言い素敵に歳を重ねた味がでているよ。柏餅とってもおいしかったよ。
もう一杯お茶を飲んだら出発だ。
「こんにわあ!すみません、ちょっとお聞きしたいことがあってお邪魔しました」
餅菓子屋さんにここを聞いて訪ねてきたことを告げる。
初対面の人に話し掛ける時にはそういう言葉を惜しんではいけないのだ。
年齢はもう70歳を超えた主人が出てきてくれた。
「なんだって?・・・・・知らないなあ、知らない」
あっけなく言われてちょっとがっかり。
「ああ、そうですかあ・・・」
「昔はね、メーカーが沢山あったんだけれど問屋なんかも自転車作ってたんだよ」と主人
「こういうところに沢山マークがはいっているから結構作っていたメーカーかと思ったんですが
どこにもでてこないんですよ、「そよ風』って会社の名前が」と説明すると。
「昔は部品屋がみんな、こうマークを入れてつくってたんだけれど、戦後どんどん潰れてしまうわけ、
だからマークいれててもどうしょうもない」
「こういうふうにマークいれてつくるだろ、だけれどこのメーカーがオッ潰れてしまったらなんにも
使えやしないよ。だからだんだん部品メーカーもそれをしなくなってきちまった。」
「今はなんにもマークなんか付けちゃいないよ、昔のイギリスの部品屋はみんな自分のところの
マークを入れてたんだ。日本もようやくイギリスみたいになったってことだよ」
ふううむ、自転車の部品の歴史をみてきたご主人の言葉をひとつひとつ味わってききいる
鮭夫であったのであった。
なかなかいい話でした。このあとにまだ、話はあるんだよなあ。あとで書きますが。
(ちょっと失礼な気がしたので写真は遠慮しました)

さて、街の中をもうすこしまわってみることにしました。
「亀屋さん」


お茶の店「亀屋」の前です。店の看板の灯がいいでしょお。
狭山茶ののれんが、御茶屋さんとはこういう構えなのかな。立派な店です。
「くらづくり本舗さん」

創業明治二十年と暖簾に書いてある。お菓子やさんで有名なのだ。

良く残してくれたものです。明治36年だったかの大火のあとで燃えない街づくり
ということでビルを建てたりしなかったのが偉い!蔵を建ててそれを店にしたんだから。
零細な店では出来ないことだったろう。川越の繁栄がしのばれますですねえ。
この街を支えてきた、国立第xxxx銀行、番号は忘れたけど、昔の埼玉銀行が建ってます。
でかい石造りの西洋建築です。昔はこの地域で流通する銀行券を発行してました。
つまりお札のことね。それが協和銀行と合併して「あさひ銀行」になり、いまは「埼玉りそな」
とかの名前になった。そんなくらいだから、地域の経済も大変だということですな。
「山新」自前の資料館を持っている。

玄関の写真はないけれど、すこしは勉強になるかなと思って「蔵作り資料館」というところに
入ったのだ。入館料は100円。典型的な大店の蔵作りを拝見しました。

地図は海運図が書いてあります。この家は舟問屋だったらしい。昔は川越から江戸に船で作物などを
運んでいたのです。後で出てくる「福田屋」さんも川岸の舟問屋だった。川越から新河岸川を下り荒川に出た。
今の新河岸川は一級河川などといっても今はよどんだ水が細く流れて昔の船を運んだ面影はない。
「資料館の二階」

「時の鐘」の搭が二階の窓から見える。
二階に上がる階段は上げられそうな階段。降りる階段はめちゃくちゃに狭い。これって用心の為なんだろうか。
「あああーくったびれたあ」と
久々に自転車こいできたので、畳がうれしかったのだあ。


つくりは大正時代なのか?照明もいい味でした。
「荻野銅鉄店」さん(読んだとおりの店)


じょうろもたらいも銅で出来たのをうっていました。なんだか、ものすごく品物がありました。
ここは必見だね。すごいよ品数が。
「宮岡」さん(刃物)

SILK-SCREENS EMBROIDERIES PAINTINGS FRAMES とある。
画材やさんの「フカゼン」さん

「シマノ珈琲大正館」さん
「田中屋」さん喫茶店

「商工会議所」さん

「芋十」さん(菓子屋)

酒屋さん

そして、僕らは偶然ある自転車屋さんの前に出ていた。
店は古そうだ。
ちょっと期待する何かがあった。出てきた奥さんに声をかける。
するとなにか用事の途中らしく話を遮っておくから出てきたご主人が代わって相手をしてくれた。
そう、「そよ風号について」を聞きたかったのだ。
店の主人はしばらくそよ風号を眺めていると、言った。
続く